のうてんき年表
この年表は、のうてんき会誌「ふぁいなるのーこん」に掲載したものです。
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- 1983末〜1984初
- タミヤF-2同好会結成。
- 1984.3
- アニメファンレーシングに変質。
- 1984.4
- AYKフェアレディカップにキャラボディ勢ぞろい。
- 1984.5・のうてん元年
- のうてんき結成。地方会員が入りはじめる。のうてんき通信1号発行。
- 1984.10
- のうてんき通信改めてパート1号発行。
会員数2桁台
- 1984.11
- のーこん1号発行。25日、池袋西武オフロードレースに於いて第一回のうてんき関東総会を開催。東京支部、市川支部などのメンバーが集まる。
- 1984.12
- タミヤRCカーグランプリ初出場、主要メンバーがTV画面に登場。
このころから、入会希望者急増。
- 1985.1のうてん2年
- 正月3日から、新宿中央公園で新年走り初め。
- 1985.2〜3
- スカイホビー主催レースに積極参戦。
- 1985.5
- のーこん2号発行。第二回のうてんき関東総会開催。
- 1985.6
- 「タミヤRCカーグランプリ」でチームの紹介が放送される。東京支部、市川支部、埼玉支部、主要メンバーの恥ずかしい映像が、テレビ電波にのる。
入会希望者殺到。
- 1985.7
- 入会希望者殺到のため、コンピュータを導入するも、あまり効果なし。
1/10電動オフロード世界戦がアメリカで開催。チームのうてんきから、ミルミル織田(ヒロボー/ゼルダ)、ケムール霜鳥(タミヤ/ホットショット・西永作4独ホッパー「ゼロファイター」)、ミンキー大出(東京マルイ極秘プロジェクト/BX434のちのサムライ)の3名が参戦。特にミルミル織田が「のうてんき」の名を世界に知らしめてくる。
- 1985.8
- 埼玉の関口模型オフロードコースを借り、第一回「のうてんきオフロードフェス」を開催。のうてんき唯一の独自主催レース。近県からのうてんきのメンバー及び潜在的親派が集結。
- 1985.9
- 第一回のうてんき全体会議。入会者の増加、地方会員の不祥事が議題にあがる。
- 1985.10
- 有力メンバー会議により、年内いっぱいでの、のうてんき散解を決定。
- 1985.12
- のうてんき散解。主要メンバーの交流は続くが、以後「のうてんき」名義でレース参戦はなし。
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